6章
これまで、様々なバレエ教育のあり方、指導案などについて考えを述べてきた。これから先、日本のバレエは、一体どうなっていくのだろう。
又、指導者とはどうあるべきなのか。 最初に述べたように、諸外国には、パリ・オペラ座のような国立のバレエ学校があるのに対し、日本には国立のバレエ学校がない。RAD=バレエ教師の資格が取れる学校もない。今現在活躍する振付家を育てる環境もない。外国のバレエ学校は、国立でできているものが国に一つはある。子供たちは厳しい試験を通って入学し、試験を受けて進級し、バレエ団に入るためにも、様々な審査を経て、舞台に立つ事ができるのだ。まるで国家試験のようだ。しかし、子供たちは最初からプロになる為に入学するのである。日本では、お稽古事の延長となってしまい、プロ意識というものがなかなか育たない。プロにならないなら、バレエをやらないほうがいいと言っているのではなく、プロになると決めた子供たちには、ろれなりに厳しい経験を積んで欲しいのだ。
このように、国立のバレエ団が必要なのには、国立で、劇場、衣装などをを持ち、職業的に成り立っていくよう、ダンサーとして生活をおくっていけるようにするためでもある。日本では、新国立がそのような形態に近づこうとしている。しかし、まだ完全とはいえないため、少しでも才能がある子供たちは海外へと旅立ってしまうのである。
しかし、国立のバレエ機関をつくるのは簡単な事ではない。国から支援されるためには、国民に理解されなくてはならないからだ。芸術派なかなか評価の基準も難しい、芸術が人間にとって、どれほどの価値を持っているのかなんて、答えられないとおもう。自分たちに利益がもたらされ、豊かになるのなら、国民も惜しまずにバレエ機関の存在を重視してくれると思う。しかし、日本は今その状況にない。経済的裕福よりも、心の豊かさを養う環境を作り上げるほうがより重要なきがする。その事を改善してゆくためにも、芸術をもっと普及させ、庶民化する。演劇、ダンスなど、人々の日常娯楽にしてしまう。などが考えられる。芸術の価値を上げるため、プロのダンサー(芸術家)の育成にもっと専念する。また、そのような環境をつくっていく事が大切であると思う。
そして、今の時代にあった子供たちへの教育。様々な国のバレエスタイルを取り組んできた日本が、これからは日本人の身体にあった、日本人ならではの美しいバレエスタイルを見つけ出す必要がある。日本人にしかない良い所をたくさんみつけ、それを芸術の中に生み出していけたらいい。