4章 ダンサー常に追求していくもの

最近、ダンサーとしてあり続けるためには何が必要なのか、考えている。指導者としてのあり方、とはまったく違うと私は思う。どちらが大変か、どちらが幸せかなんて分からないし、どちらにも、その厳しさと責任の重さは変わらないように思う。ここでは、ダンサーを通しての追求について述べてみたいと思う。今日まで、指導者、振付家、芸術家の多くは、ほとんどが過去に自分もその経験を持つといった人がほとんどである。バレエを一度もやった事がない。とか、5年くらいしか経験がありません。といった人が優秀な指導者になっている例はほとんどない。そこで、いわゆる指導者となるために培われていったダンサー時代の経験とでも言うのか、それらは一体どんなものだったのか。そこで、彼らが追求し続けていったものとは何だったのだろう・
・自己への厳しさからなる美しさへの追求。
→まず、バレエは美しいものです。芸術がすべて美しいものと言うとなんだか嘘っぽく聞こえるかもしれませんが、私は、舞踊、特にバレエは美しいものだと思っています。本当の美を追求するため、ダンサーは様々なものを犠牲にします。自分だったり、友達だったり、家族だったり、恋人だったり。華やかな世界にいるからこそ、その裏では様々な悲しみや、孤独がまっているのです。こんなこと、言葉であらわすことはできないと思いますが、ダンサーは舞台に立ったら一人です。団体でやっていても、本当は一人だと思います。どこまで自分を信じて、やっていけるか、どこまで自分に厳しくできるか、それによって、未来も変わってくるのかもしれません。そう考えると、なんだか残酷のようにも思えますが、そこまでしてやる人の心情は一体どんななのでしょう。何がそこまでさせているのか、やはりダンサーとしてのプライドでしょうか。
・日々追求し変化し続けること。
ダンサーダンサーであり続けるためにすること。毎日の稽古です。その稽古の中で、日々向上していくため、自分をしっかりとコントロールするため、肉体を維持するためにダンサーは日々立ち向かいます。風邪をひいていても、もしその日が本番であったらどう対処すればよいのか、そんなことを考えながら稽古に励むのではないでしょうか。又、長くダンサー生活を送るためにも、日々の稽古が必要だと考えられるからです。

・作品への自分なりの理解と創造力。
ダンサーは創造力が大事です。創造することができなければ、モノをつくり出すことはできません。蛙の子は蛙。この言葉は、親がそのような環境に子供を自然と触れさせている、だから子供もその感覚と創造力を身につけていくのだと思います。遺伝子ではなく、環境がそうさせるのだと私は思います。
・音楽と踊りは一つ。
→「音楽と踊りは一つです。」

・こころ(ハート)で踊るという事、それにプラスαしてテクニックがついてくるということ。外側でなく、内側からでるもの。(シルビィギエム。ジョルジュドン)
有名なダンサーの中に、シルビィギエムという女性がいる。バレエ界では、100年に一人といわれるほどであり、誰が見ても、彼女のパフォーマンスには驚かされる。以前に彼女が冷たい踊り方をする。といった評価もあった。人間技とは思えない動きをし、体が自由自在に動き、それをいとも簡単にやってみせるので、彼女の動きは人間味がない、冷たいなどと評価されていたのである。しかし、最近では又違った意見が出てきている。若い時はテクニックがすばらしいため、観客はそこについつい目がいってしまう。しかし、彼女の内側からでる才能もすばれしいものがある。しかし観客はテクニックに目がいってしまい本当の彼女が見えてこない。彼女は新体操をずっとやっていたので、柔軟性もありテクニックは何でもこなしてしまうのである。しかし、本当の彼女の魅力はそれだけではないのだ。年を重ねるにつれ、彼女のテクニックは、私たちでは本当に分からないくらいだが変化しているらしい。だから、演技力に多少の衰えがあっても、今度は抜群の演技力で人々を魅了しているのである。でなければ、今バレエ界に残ってはいないと思う。テクニックはあって当然、それに才能とでもいえる内側からのフィーリングみたいなものがでてこなければならないのだ。

・普段からの生活態度、自分の性格は必ず踊りにでるということの認識。

・踊りに情熱を持ち続けること。